私はあなただけを見つめる 

2012.11.27
21歳年上の旦那SANと愛を確認した^^
10年いや20年は・・・
一緒に過ごせると思っていたのに・・・
21855日の旦那SANの人生の時間で私は・・・
1321日しか一緒に過ごせなかった・・・
在宅介護を選び過ごした日々と一人で歩きださないと行けない
自分のつぶやき・・・

旦那SANへ
 今まで頑張ってくれてありがとう・・・
 私との人生を一緒に過ごしてくれてありがとう・・・
 ありがとうと言わせてくれてありがとう・・・
 大好きです・・・
 とっても とっても 愛しています♪

2015.7.9 AM7:00 ・・・
大好きな旦那SANが旅立った・・・
寂しがりの私を残して・・・

心の中での格闘・・・。

旦那SANが亡くなって写真を見てたり部屋の中で一人で話す事が増えた^^


今日の出来事や想ってる事・・・
謝ったり報告したり・・・。


返事がない中でも何だかそんな時間も穏やかに感じる事がある・・・。


今日は、仕事を復帰する為に会社に行った^^
1ヶ月前は、ヘルパーの仕事に戻る事に戸惑いがあって・・・
怖かったのに仕事の先輩に救われた・・・。私と同じ旦那SANを亡くした先輩がいっぱい居た。


寂しさなんて何度も襲ってくるよ・・・
楽しそうに食事している家族を見ると少し前まで同じだったのに今は違う・・・
寂しい・・・悲しい・・・。
泣きたい時は、泣いたらいいよ・・・。
仏壇の前に座ってたらいいよ・・・。
人に優しくされる事を求めるんじゃなく人に優しく出来る人に成ればいい・・・。
泣いて過ごしても笑って過ごしてももう戻ってこないなら安心して貰うために笑ってあげなさい・・・。
心配させないように・・・。
仕事せなあかんよ・・・。


こんな思いをしてる人は、私だけじゃない・・・
沢山いるけど今まで目にも止めなかったのは、自分が見えなかっただけで・・・。
当たり前が当たり前じゃなくなった日は、必ずしも人には訪れる・・・。
幸せだと感じる事、幸せだったと感じる事・・・


旦那SANの写真に何度も問いかけた・・・
幸せだったかどうか?
最期の顔を見た人は・・・幸せだったんやねと言ってくれた・・・。
でも自分では解らない・・・・。


でも自分の事なら答えれる・・・
4年間幸せだったと・・・。
もう一度戻りたい・・・。
ギュッとして貰って・・・。
キスをして・・・。
笑って・・・。
泣いて・・・。
怒って・・・。
拗ねて・・・。
愛してると言って・・・。
スキやよって言われて・・・。
難しい事を語って・・・。
ありがとうと言って・・・。
ありがとうと言われて・・・。


でも1つだけわかってる事・・・


それは、旦那SANが形が変わっても側に居てる事・・・。
私の心の中にいてる事・・・。


でも・・・
でもね・・・


やっぱり生きている貴方の側に居たかった私が大きいです・・・。






在宅介護にあたっての一歩先の行動・・・。

在宅介護にあたって私は、母にも主人にも沢山の勉強をさせてもらいました。


ただ・・・
我が家ではヘルパーを使うことはなく、ベッド&車いすレンタルでの介護保険での利用でした。


母の時は、末期がん宣告を受けたと同時に担当医に在宅希望を申し出て自宅から近い往診の可能な
病院へ紹介状を発行して貰い、介護保険認定の為の医師の診断書をお願いしました。
役所で介護認定の手続きをして認定面談を受けやく1か月後に要介護1の認定が来たと同時に往診の
先生に相談をしてケアマネ&訪問看護ステーションの紹介を受けて合同カンファレンスを行い、
往診の先生から紹介で市立病院の緩和ケアでの体験入院をへてあんしんカード発行(緊急時すぐに受け入れ対応して貰える)で固めての在宅介護に繋げました。


主人は、在宅酸素必要で呼吸器障害1級の認定を貰ってましたが、抗がん剤投与中に大学病院の担当医師に在宅酸素の為ベッドの必要性や在宅希望を伝えて、末期がんでの介護保険認定手続きの母と同じ往診の先生&ケアマネ&訪問看護ステーションを少し早めに繋ぎました。
その後、肺気腫の進行が見られ大学病院から市立病院の緩和ケア体験入院をへて安心カード発行後在宅介護に繋げました。


母も主人も末期がん宣告余命をを受けましたが、まだ自分の足で歩けるし会話も食事も摂取できる時期から最期の在宅での看取りを基本的に考えて固めていきました。
そのおかげで我が家に入る往診Dr&訪看SAN&ケアマネSANとは、私達家族と色々な不安や相談など在宅では必要な利用者本人及び家族との信頼感があり最後まで穏やかな時間が流れました・・・。
介護される本人の気持ちそして介護する家族の気持ちそれぞれの思いがぶつかり合う時もあります。
進む答えは一緒でもお互いを想い合うゆえに衝突してしまうのもあります。


介護される本人の気持ち・・・介護する家族の気持ちそれぞれの橋渡しをして貰う他人が必要だと
私は感じました。


母の時も主人の時も同じ事を感じました・・・。
楽しい事もつらい事も分かち合える人それは、側でついていた家族であり力を貸してくれた在宅介護を
支えてくれた往診先生&訪看SAN&ケアマネSANでした・・・。

送り火・・・

今日は、送り火です・・・。


2014.11.25 AM9:40 末期の乳がんを治癒したのにもかかわらず2年前に末期の胃がん及び
昨年4月の再発で帰らぬ人と成ったおかん・・・。


死後、1年間は娘の私の所で過ごして貰う事に成っていたんで旦那SANが居なくなっても自分なりに
出来る事をと初盆も形を整えました・・・。


今年は、我が家に帰って来たおかん・・・。
新仏の旦那SANとこの家で会ってどんな会話をしたんやろ?


おかん!
あんまり旦那SANを虐めないでくださいね^^
彼は私たちに沢山の愛を残し沢山の経験をさせてくれて・・・
最後まで頑張ってました・・。


おかん・・・
帰ってきてこの家の感じ変わったでしょ?
毎日、起きたら掃除して・・・子供達も部屋をぼちぼち片付けてるでしょ?
1年前にまだプチ反抗していたなつがしっかり自分の道に進むために頑張ってるでしょ?
そらは、最近体が大きくなりでも考え方も昨年とは違うでしょ?
おかんが残してくれた思い出や経験を子供たちは、それなりに自分で考えながら
生きていますよ^^
私は?
おかんが亡くなった後に介護の勉強をしました・・・。
おかんを在宅で看取り色々な???も経験も踏まえて勉強したかったから・・・
2014.11.25の事は、まだはっきりと覚えてます・・・。
おかんの最期は、本間に私も人として羨ましい逝きかただったと思います・・・。


病院は、嫌やぁ・・・
在宅で死にたい・・・
正直、最後まで完全におかんの想いに寄り添って
最期を迎えるさせる事が出来たと満足はなく後悔が後からいっぱいありましたが
でもやれることはしてきたと思ってます^^
やっとそこまで自分で感じれるように成りました・・・。
でも残念ながら・・・・
弟やおかんの姉妹との考え方でやはり私は、上手く付き合いが出来ません・・・。
おかんも解ってた事やと思うので私は、私なりにっやってます・・・。
おとんは、相変わらずですが・・・毎月必ず手を合わせに来ます・・・。
それでも少しは、私の言う事を聞くようになりましたがたまに衝突します。


23日旦那SANの満中陰が終われば仏としてそちらに向かうと思うので
また、話をしてあげて下さい^^


おかん、では来年また帰って来たら少しこちらにものぞいて下さいね^^